あとがき




 一昨年の7月だったと思います。
 「長野電鉄が木島線を廃止したい意向を沿線市町村と長野県に伝える」
 という内容の記事が信濃毎日新聞に掲載されました。
 まさか長電が路線廃止するなんて。。。私自身非常に驚いた覚えがあります。
 しかしながら内容を見てみますと現在は木島線だけで毎年1億数千万の赤字を計上し、今まではそれを他の路線や事業でカバーしてきたものの、それが1企業だけではもはや限界に来ている、自治体の支援無くしては木島線を存続する事が難しい。
 正確ではないものの確かそんな内容であったと思います。
 沿線の市町村では住民による廃止反対の署名をしたり、自治体も赤字分を負担するということで一時は存続の方向に向かっていたものの、肝心の長野県が負担できない(良くも悪くもダムはいらないと言っているぐらいですから)と言う意志を表明したことと、法律の改正で鉄道を廃止する際は国土交通大臣(旧運輸大臣)の許可が必要な許可制だったものが、届け出をすれば1年をもって廃止することが出来る届け出制に変わり、いわば簡単に鉄道営業をやめる事が出来るようになってしまったという事もあり、結局廃止が決定してしまったという経緯をたどったのはご存じの通りです。
 長野電鉄といえば地方私鉄としては他に類を見ない長野〜善光寺下の地下区間や複線区間を持ち、特急列車を運転しているという特徴があって廃止とはほど遠いイメージがありました。
 しかし大手私鉄ですらここ数年廃止、または廃止の方針を打ち出している路線が出てきたこのご時世、木島線の廃止というのもこのような流れから来ているのはおのずと察しが付くところです。
 他のところでも書いていますが、鉄道というのはその土地の足であることは言うまでもありませんが、それだけでは無くその土地の顔、象徴でもあると思います。木島線が廃止になると言うことは北信濃の顔、象徴がひとつ消えてしまうと言うことではないでしょうか。

 このページの管理人である私は仕事の関係で現在は東京にて暮らしておりますが、出身は上田市で卒業後地元で就職しました。その時に車でよく長野電鉄沿線、特に景色が良かった木島線に来ました。その頃は運転本数も1時間に1本は走っていましたし、柳沢駅で日中も列車交換が行われていました。そんな木島線のよく見える場所で半日ほど何もせずただ行き交う電車を眺めていては気分を入れ替えて帰ったり、同様にすごく気が滅入っていたり、考え事があったりしたときも何度か木島線沿線に足を運んだりしていました。転職して上田を離れ東京の会社に勤めているという現在の私があるのも大げさに言えば木島線の沿線に来たときにこれからの人生を考えていた中から出てきた結論でもあったと今は思っています。
 だから木島線は私にとって沿線住民の方に負けないぐらい思い入れがある路線でありました。
 そんな木島線が廃止になってしまう、本来なら廃止反対のHPを作り、先頭に立ってやるべきだったのかも知れませんが、沿線の住民で無いよそ者の私がそんなことをやるのは「やかましい、よそ者は黙っていろ!」といわれていまうのがオチであり、その通りであると私は思います。長電木島線のページを作ったのはそんな私がせめてもの惜別と感謝の思いで出来ることは木島線がここにあったと言うことを後のために記録しておくと言うことぐらいしかないと思い作成しました。
 
 木島線を廃止するという意向が出た頃から少しずつ写真を撮りはじめました。
 その前から何度も沿線には来ていたわけですから何でカメラを持ってこなかったのだろうとそのときに後悔しても始まりません。しかしそのときにはすでに東京にいましたからなかなか時間がとれずに結局は四季折々の写真を撮ろうと考えていたもののそれが出来なかったのは残念でなりません。
 撮り始めた当初は廃止になるという実感がまったくと言っていいほどありませんでした。沿線で撮影している人もまったくいないという状態でした。しかし、特に廃止まで1年を切ったというあたりから少しずつ増えていき、年が明けてからそれが顕著となって増えて3月に入ってからは更に加速して3/30,31のあの混雑となっていきました。
 それだけ木島線が地域の方、鉄道ファンに親しまれていた路線だったと言うことを証明しています。
 そんな中で昨年の8月にようやく長電木島線のページを立ち上げ、少しずつ更新してきました。年が明け、廃止までいよいよというときに偶然にもYahoo!に取り上げていただき、その反響の大きさにあらためて驚いたのと、このページを作って本当に良かったと思っています。

正直言ってまだ廃止となった実感がありません。
またそこに行くといつもと変わらず走っているような錯覚すらあります。
しかしこれが何年後かに再び訪れたとき、レールがはがされ、駅舎やホームが取り壊されている光景を見たときに現実として実感するのだろうと思います。

このページはこれからもずっと運営していくつもりでいます。
木島線のその後なども少しずつ載せていく予定でいます。
たまにはメンテナンスもしますので時々また見に来てください。
それでは。


2002.04.20 nakajiこと中嶋真一郎 記す